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2021年8月4日 最近になって古代史を勉強していますので、榛名山東南麓の井野川流域にある保渡田古墳群は行ってみたいと思っていました。5世紀後半から6世紀初頭にかけて、二子山古墳→八幡塚古墳→薬師塚古墳の順で作られました。当時の東日本において、きわめて有力な豪族、上毛野氏(かみつけの)の墓所として作られました。これほどの規模の古墳は上毛野氏が当時としてかなり有力な豪族であり、大和の政権との連絡があり、朝鮮からの渡来人も受け入れていたようです。また部民性が成立していて土器、埴輪作るを専門の民がいたようです。 |