比叡山、延暦寺
大原、三千院______________________________
比叡山、延暦寺_____________________________
比叡山
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2024年10月20日 比叡山に行くには3通の方法がある。琵琶湖側から坂本ケーブルを利用する。ドライブウェイが出来ていて、山頂にはパーキングがあるので、マイカーやバスで行く。京都側からは叡山電車の八瀬駅まで行き、ケーブル、ロープウェイを乗り継ぐ。この日は八瀬駅から山頂のガーデンミュージアムを散策し、琵琶湖を眺める景観を楽しみました。 比叡山(標高848メートル)の東側は琵琶湖に面し、西側は京都盆地に向かっていて、山頂全体は大きな広いスロープを形成しており、いくつかの峰が連なっている。 比叡山は古くからの地殻変動によって形成され、山全体がゆるやかに登れる部分と、急峻な崖がある。比叡山山頂が広いのは、プレートの衝突や隆起により形成された中央の固い部分が平坦な部分となり、周辺の柔らかい岩盤や土壌は地殻変動や浸食作用で削られて急峻な崖がとなっている。琵琶湖側に向かう東側は地殻の動きにより大きく沈降しており、その差によって崖が生じている。比叡山は豊富な湧き水があるが、雨水を集めやすい地形であり、山頂や山腹に降った雨が地下に浸透し、地下水となり、特定の場所で湧水として地表に出ている。これが多くの堂宇や3000を超えるお堂で生活する大勢の僧の生活を支えている。これがまた比叡山全体が延暦寺の持ち物になっている理由です。 将門岩(まさかどいわ)は、比叡山にある伝説的な巨岩で、比叡山の象徴的なスポットのひとつであり、歴史や伝説が絡み合った神秘的な場所として知られている。比叡山の地質構造は様々な岩石が含まれているが将門岩はホルンフェルスが地表に露出したものである。火山や地下深部でのマグマの上昇による変性作用でできたホルンフェルスの主な特徴は、その硬さと耐久性である。元々の堆積岩が熱によって結晶構造が変わり、緻密な構造を持つようになった。地表に露出している場合、その硬さゆえに攻撃食に強く、周囲の柔らかい岩石が削られてもホルンフェルスだけが残って、比叡山の急峻な崖の形成に関わっていると考えられている。 伊吹山(標高1377メートル)は、比叡山から見て北東に位置する滋賀県と岐阜県の境にあるプレートにより隆起された。かつてこの地域は海底に堆積した石灰岩や泥岩が隆起して山を形成し、現在の伊吹山となっている。琵琶湖は断層湖であり、プレート運動による地殻の沈降によってできた湖で、断層活動により徐々に沈降することでその規模を拡大してきた。比叡山、伊吹山、琵琶湖はすべて断層運動と隆起・沈降作用によって形成された地形で、複数の活断層が複雑に交差する場所に位置している。特にフォッサマグナ(中央地溝帯)の西端に位置することからも、隆起した地層は、硬い岩盤が地殻の力で押し上げられた結果であり、同時に琵琶湖のように沈む降下部分が隣接していることから、プレート間の大きな力の作用が感じられる。断層湖は、断層線に沿った地殻の沈降で形成され、深く、広く、細長いのが特徴である。断層活動により形成されたため、湖盆の周囲の地殻がかなり隆起していることが多く、断層湖の岸辺は急な崖があり、景観がダイナミックで、山地湖としても観光スポットになることが多い。
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延暦寺
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延暦寺は、滋賀県大津市坂本本町にある標高848mの比叡山全域を境内とする天台宗の総本山の寺院。山号は比叡山。本尊は薬師如来。正式には比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)と号する。平安時代初期の僧・最澄(767年 - 822年)により開かれた日本天台宗の本山寺院である。住職(貫主)は天台座主と呼ばれ、末寺を統括する。1994年(平成6年)には、古都京都の文化財の一部として、(1,200年の歴史と伝統が世界に高い評価を受け)ユネスコ世界文化遺産にも登録された。
比叡山、または叡山(えいざん)とも呼ばれる。このほか、興福寺を指す南都に対して北嶺(ほくれい)、園城寺を指す寺門に対して山門の異称もある。最澄の開創以来、高野山金剛峯寺と並んで平安仏教の中心寺院であった。天台法華の教えのほか、密教、禅(止観)、念仏も行なわれ仏教の総合大学の様相を呈し、平安時代には皇室や貴族の尊崇を得て大きな力を持った。特に密教による加持祈祷は平安貴族の支持を集め、真言宗の東寺の密教(東密)に対して延暦寺の密教は「台密」と呼ばれ覇を競った。「延暦寺」とは単独の堂宇の名称ではなく、比叡山の山上から東麓にかけて位置する東塔(とうどう)、西塔(さいとう)、横川(よかわ)などの区域(これらを総称して「三塔十六谷」と称する)に所在する150ほどの堂塔の総称である。「日本仏教の礎」(佼成出版社)によれば、比叡山の寺社は最盛期は三千を越える寺社で構成されていたと記されている。
延暦7年(788)に最澄が薬師如来を本尊とする一乗止観院という草庵を東塔北谷に建てたのが始まりである。開創時の年号をとった延暦寺という寺号が許されるのは、最澄没後の弘仁14年(823)のことであった。延暦寺は数々の名僧を輩出し、日本天台宗の基礎を築いた円仁、円珍、融通念仏宗の開祖良忍、浄土宗の開祖法然、浄土真宗の開祖親鸞、臨済宗の開祖栄西、曹洞宗の開祖道元、日蓮宗の開祖日蓮など、新仏教の開祖や、日本仏教史上著名な僧の多くが若い日に比叡山で修行していることから、「日本仏教の母山」とも称されている。
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