安土城跡、近江八幡

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2019年11月27日
翌日はJR安土駅に移動して安土城跡の拝観に行きました。駅前には織田信長の銅像がありました。 安土城跡は標高約200mの安土山山上にあり、400年を経た今も石垣や礎石が往時をしのばせてくれる。安土城は、織田信長が、天正4年(1576年)から3年有余をかけ完成した五層七重の、わが国最初の天主閣を有する城。本能寺の変で信長が倒れたのち、城下町とともに焼き払われ、天下の名城をわずか3年にして灰燼と化した。当時は四方を琵琶湖と沼に囲まれていたが、今は大中の湖干拓地として田園が広がり、そう見寺跡から見る西の湖が美しく、わずかに二の丸跡の信長墓所や、秀吉、前田利家などの屋敷跡が戦国の世を語り伝える。安土城考古博物館にも行きました。特別史跡安土城跡・史跡大中の湖南遺跡・史跡瓢箪山古墳・史跡観音寺城跡からなる歴史公園「近江風土記の丘」の中核施設として平成4年に開館。第1常設展示室では「考古」をテーマに弥生時代、古墳時代の近江にタイムスリップする。第2常設展示室では「中世・戦国時代」をテーマに、安土城をはじめとする城郭の変遷や織田信長の人物像を展示する。
さらに、JR近江八幡に移動して八幡堀や街並みを見学しました。八幡堀は、安土・桃山時代に豊臣秀次の八幡山城居城のもと、城下町が栄える原因となった町の一大動脈である。近江商人の発祥と発展、また町の繁栄に八幡堀は大きな役割を果たし、江戸時代後期には近江国において大津と並ぶ賑わいを見せた。昭和初期までは、常に町の人々の経済・流通路であったが、戦後は陸上交通の発展によって廃れた。堀に沿って白壁の土蔵や旧家が立ち並び、華やかだった当時の様子を今も伝えている。近年になって観光名所として整備され、船着き場などが復元された。