心を修行する

南アルプス 甲斐駒岳 。

釈迦は出家して断食をする、呼吸を止めるといった苦しい修行を6年間しましたが、悟りを得られなかったとされています。この修行法では体を壊してしまう、死んでしまうと周囲の人に諭されて、方法を変えて菩提樹の下で8日間にわたって瞑想を続けて悟りを開いたとされています。そのときの言葉を、現代の言葉に訳せば、次のようになります。
「ああ、そうだったのか、驚いたな。眼に映るものすべてが、真実そのものだったとは」
老・病・死から逃れたいと思い続ける限り、その苦しみからは逃れられない。だから老いを、一つの真実として受け止める。病を、一つの真実として受け止める。死を、一つの真実として受け止める。老、病、死を、紛れもない真実の現象として、自分の思いをはさまずに受け入れることで、苦しみが苦しみでなくなった。苦しみから逃れようとさえしなければ、「苦」という感情は心に起こらい。釈迦が苦しんだのは、老・病・死から逃れようともがく心から生まれた感情であって、老・病・死そのものが原因ではなかったのです。苦を生み出していたのは「人は必ず死ぬ」という現実ではなく、そこから逃げようと乱れ揺れる自分の心の方であったのです。
  釈迦はこのようにして35歳にして悟りを開き、その後80歳で入寂するまでの45年間をインド北部での仏教の法(ダンマ)を教える旅で過ごしたとされています。その教えとは出家修行を重視した大変厳しいもので、ひたすら修行に励み、苦しみの源である煩悩を消し去ることでしか、人は真の安楽に達することが出来ないと教えています。煩悩とは、人の心を乱し悩ませる、執着・欲望・怒りなどの心の動きであり、それを消し去るためには財産や家族を捨てた僧伽(サンガ、僧)となって、朝から晩まで瞑想を中心とした修行生活をするように教えています。出家した僧侶の生産活動は一切禁じられ、働くこと、畑を耕すことも認められませんでしたので、生きてゆくのに必要なものは全て一般社会からのもらい物に頼って暮らしました。出家して厳しい修行をしている僧伽を尊敬して、布施により支える人々の集団(在家)が当時の社会にはあったことになります。この在家の人々がいなければ仏教は広がっていかなかったことになり、僧伽たちは自力で悟りを開いて阿羅漢( 悟りを得て人々の尊敬と供養を受ける資格を備えた人)になれなかったでしょう。釈迦も最初は阿羅漢でしたが、悟りがはるかに深く、人々を救うこととのできる法力を具えた仏であるとされ、仏陀、釈尊、如来、世尊とも呼ばれ仏教が始まったとされています。

時代が変遷するにつれて在家者であっても救われたい、自力で修行しないで他力で救われたい、来世では自分も仏陀になりたいといった一般民衆の要望を出家していた僧伽たちが中心になって叶えるようになります。釈迦の教えを解釈したとされる様々な経典が作られ、仏陀になるための様々な解釈が作られ、仏陀よりさらに法力の強い如来の存在が考案されて、仏に帰依すれば本願に達することが出来るという他力に頼る大乗仏教が考え出されてゆくことになります。しかし大乗仏教の成立や、日本への伝来、伝来してからの変貌について本論で語るつもりはなく、古来の仏教の修行法であった瞑想が、どのような技法であり、どのような効果があったのかについて考えてみました。

原始仏教を引き継いでいるとされる上座部仏教では瞑想を、サマタ瞑想(止)と、ヴィパッサナー瞑想(観)とに区分しています。サマタ瞑想は精神集中であり、高ぶった心を鎮める手段でもあります。ヴィパッサナー瞑想は洞察(智慧)であり、沈み込んだ心を活気づける手段です。伝統的に上座部仏教においては、サマタ瞑想を先に修行して、それからヴィパッサナー瞑想へと進むという階梯がとられているようです。サマタ瞑想では心の動きを何か一つの対象に結びつけることをします。例えば、入る息、出る息に心を結び付ける入息出息観察法があります。人間の心は常に何かを考えるのが仕事のようで、実際には様々なことを考えてしまいます。心がどこかに飛んで行ってしまっていると気が付いたら、またもとの対象に戻って観察を続けます。やがて練習を繰り返している内に、心は静かになり、何かを探し求める気持ちと、喜びと安楽な気持ちが生じる段階(禅定)へ至るとされています。
このように禅定の境地に入っている最中は良いのですが、普通の状態に戻れば前と同じように様々な心の働きが生じ、人生の苦しみ、悩みが生じます。それらが生じない別の修行法があるのではないかと釈迦が考えたとされる「観」と呼ばれる修行法でした。仏教用語で観とは真理と現象を心の中で細心に分別して観察し、道理を悟る瞑想の実践のことを言います。心の働きを観察するときに心を結び付ける対象は業処と名付けられ、四つの念処として分類されていました。念処とは記憶をとどめおくことで、真剣な思いを意味します。�‘�体の不浄 (身念処) ,��感覚の苦 (受念処) ,��心の無常 (心念処) ,�に,量飢� (法念処) に思いを凝らす観察法であって、釈迦が始めたとされる原始経典では,上記の四種を独立の修行法として説く場合が多いようです。
観の修行法は止の時とほとんど変わりませんが、重要なことは観察の対象の業処が一つに限定されません。もう一つは目覚めに結びつく観察というか、「名色の分離」に進みます。ここでいう色は仏教用語で姿、形です。名とは、まさに言語機能(ラベリング)であって、判断、了承、分別をする心の働きになります。即ち観察の対象の色を捉え、心の微細な働きを区分しラベリングする観察が可能になります。そして心の働きが見て取れ何かを認識するということは、外界の刺激を受けて心の中に捕らまえられる対象としての映像ができ、それが「何々だ」と判断していることが明らかになります。観の修行法では、日常の悩み苦しみは、この判断、了承、識別の働きから生じるとして、識別作用のない人には悩み、苦しみがないとしています。それでは識別作用がない状態を出現させるために、5官で感じ取っている全てを気付きの対象にします。気付きの方法としては言葉を使う、ラベリングして記憶するのが良いようです。観の修行法では複数の対象を次々と気付き、身体で感じ取っている感覚機能全てを対象にして心が振り向けることが出来るようになります。すると識別作用は生じないが、見たり聞いたりの認識は存在している無分別と呼ばれる境地に入るとされています。この境地は自他の一体化ともいわれていますが、自己中心的な考え方を脱却し、他者に対する慈しみの心が起きてくると言われています。

観の修行法では心を振り向けること(気付きをいれること)が最も重要な点になります。日常生活の中では感情などを言葉で表現しており、気付くときも言葉が介在します。 例えば、識別作用のうちの痛みであれば「痛み」として気付けておけば、次に同じような感情が起きた時であっても、それに支配されることは少なくなってゆき、他の感情が起きた時も、痛みとは一線を画することができます。日常に起きる全ての感情を対象にして心を振り向け、気付きの対象とすることで、その感情の支配から少しずつ離れていけるようになります。それは、心が判断、了承、分別の識別作用のところで、一度止まることを意味し、仏教用語でいえば「第二の矢がない」ことになります。例えば嫌な言葉を聞いても、その言葉を理解するだけで、いやな気持を起こさない、美しいものを見ても、美しいと感じるだけで手に入れたいとは思わない境地とは、悩み苦しみから脱却することになります。いずれにせよ、観の修行法とは練習により自らの心を、悩み苦しみを起こさないように調えてゆくことを目指したものですが、その境地に達するのは容易ではないようです。

以上に述べた観の修行法は現在でもインドから南方に伝わった上座部仏教で実践されているようです。インドからヨーロッパに伝わった仏教の瞑想としてのマインドフルネスは観の修行法を簡易化したもので、精神を統一する意味で効果があるとされています。一方、インドから北方に伝わった大乗仏教では心を結び付ける対象の業処の変遷が見られます。業処が仏の姿、形となり、やがて仏像が作られるようになりました。さらに中国に伝えられた頃には称名念仏といって、仏の名前を唱え、仏を心に思い浮かべ、さらに涅槃、悟りといった良い言葉を唱え、心にも思い浮かべて確認する修行が登場します。 これは止の瞑想に近いのですが、仏教では観の修行とされているようです。

ヴィパッサナー瞑想を実践したとして「ブッダの瞑想法」を著している池橋秀雄氏によると、それを実践することは一瞬一瞬に注意を注ぐ訓練であり、集中力であり、記憶力を養うといっています。さらなる効果として分析力が磨かれる、決断力がつく、創造性が開発されることをあげています。しかし、この境地に達するまでには環境を整え、時間をかけた修行が必要であり、容易ではないようです。