人間の生活行為をいろいろの局面からデータに基づき分析してゆくと、人間の行動がある程度予測できるようになる。人間の考え方とその事象について理解することを昔は哲学と言いました。しかし哲学はファジーな現象をなるべく分かりやすく分類し統計的に推論を施したものでしたので根拠に乏しかったのです。それに対して最近の心理学は人間の心理には個人差があることを前提にして人間生活の様々な切り口からデータに基づき分析し統計処理により行動を確率で予測しています。確率で足りないところはデータの不足であり、個人差であることになるがデータの活用方法、分析方法が更に進展すれば将来さらに精度が上がることが期待できます。心理学は全てデータに基づくものであるから、データを取得する局面から多くの分野に分類されています。 認知心理学 認知(cognition)とは、外部の対象や事象に関する情報を「後天的な知識・記憶・学習」の影響を受けて理解する過程のことで、知覚(perception)とは、目・耳・鼻・舌・皮膚の感覚器官から直接的に情報を摂取する過程のことです。知覚と認知は明確に区別できないとする立場もありますが、後天的な学習活動や記憶内容、知識水準の影響を受ける情報処理過程である認知は、対象や事象に関する知識や経験と無関係に情報処理を行う知覚よりも、より高次な情報処理過程であり知のシステムであると言えます。 直感的には、認知の影響をそれほど受けていないように思える身体運動さえも、「身体・空間の位置知覚系」を活用して、自己の身体と対象の位置を瞬間的に知覚しながら、対象や外部環境の認知へとつなげ適切な運動制御を実現しています。知覚と運動を関連させて研究するだけでも、人間の身体・知覚・認知と外部世界の状況変化がダイナミックに相互作用していることを理解することが出来ます。 認知は「統覚」と「連合」の二段階にわかれた処理である。統覚は、風景などの知覚から形を取り出す働きであり、その形が何であるのかを判断する働きが連合である。認知の障害が失認であり、見えたり聞こえたりすることはできてもそれが何であるか理解できない(連合の障害と統覚の障害とでは症状には差異がある)。見たものが認知できない視覚失認のほか、相貌失認・手指失認など様々な症状があり得る。 社会心理学 人間にとって、他の人間、および、人間がつくる社会集団は、環境の中の非常に重要な部分です。人間の認知は、人間集団の中で適応的な行動をとるために発達してきたという側面もあります。心理学は、その対象から大まかに社会行動とは関係ない生理的な過程における心理の研究を行う生理心理学と、社会行動や社会生活によって影響される社会的な過程における心理の研究を行う社会心理学がある。人間は単体である場合と集団である場合には明らかに異なった心理過程を抱く。社会心理学はこのような社会的な人間の行動を集団内行動と集団行動とに分類し、加えて集団を形成する個人のパーソナリティーや対人行動の観点からも取り組み、それらに関する実証的な心理学的法則を解明する事を目的とする。研究手法の違いにより、大きく分けて心理学的社会心理学と社会学的社会心理学とに分類されているが、両者とも接近した研究テーマを扱っている。 催眠の心理学 催眠術とは「暗示の作用が高まる変性意識状態という特殊な心理状態に導き暗示を与えること」です。意識は「顕在意識」と「潜在意識」という二重構造になっています。顕在意識は現実に接している意識であり、それは「気付く」という働きを見せます。あることに“気付いている”というのは顕在意識の活動です。顕在意識は情報を収集しそれを選別します。また可能性を探り決定や判断をします。そしてその背後で顕在意識を支えているのが潜在意識(無意識とも言う)です。潜在意識には顕在意識上には昇らない莫大な記憶がたくわえられており、寝ているときも活動し、見えないところで私たちの精神活動を支えています。顕在意識が氷山の一角であるならば、潜在意識は水面下にある見えない部分であるといえます。通常、情報は顕在意識の検閲を受けます。その顕在意識と言うフィルターを通した情報で以って判断し行動を選択します。しかし催眠では、直接潜在意識に働きかけを行います。そのために潜在意識を取り巻いている顕在意識を部分的に休ませる必要があります。 意識の状態には「清明度」と「質」と「広がり」という三つの尺度があります。その中で催眠に深く関係しているのが「意識の広がり」です。催眠中には意識の狭窄が起こっており、その状態では暗示を受け入れやすくなります。このように顕在意識が狭まっている状態は、生理学的に言えば大脳新皮質が部分的に休止状態にある状態です。例えばテレビゲームに熱中していると時間を忘れたり、あるいは横から声をかけられても耳に入ってなかったりしますが、これも一種の変性意識状態です。テレビゲームなどは自らそれに集中している「能動的集中」ですが、催眠の場合は受身である「受動的集中」というものになります。 催眠術ではその意識の集中などを利用して意識の狭窄を起こさせ変性意識状態に導きます。この状態になると潜在意識へのアプローチが容易となり、暗示を受け入れやすくなります。催眠の本質は自己暗示ですので催眠術をかける側は何らかの力でかけられる側の人の心や行動を呪縛しているわけではなく、あくまでその人の自己暗示を誘導しているだけですのでコントロールはあくまでかけられる側にあります。催眠術の本質は自己暗示であるが故に、かけられる側の動機付けが必要です。つまり「催眠なんかにかかってたまるか」などという人に催眠術をかけることはできません。また催眠のかかりやすさは人によって違います。5〜10%ほどの人はまったく催眠にかからず、また催眠にかかっても、もっとも深いレベルにまで達するのは15〜25%程度だと言われています。 錯覚の心理学 錯覚というのは脳の中で起きるもので、目や耳などの感覚機関から送られて来る情報を基に脳が判断した結果が現実と異なることを錯覚と言います。 2本の短い鉛筆を真直ぐ縦に並べて、その継ぎ目を消しゴムで隠します。大概のひとには、それが一本の鉛筆に見えるはずです。手の親指が抜けてしまう手品と同じですね。これは、感覚機関から得られる情報の不足を、知識や経験によって補うという能力が脳に備わっているからです。明らかに、見えない部分を脳が経験的に、また、勝手に判断してしまっています。 このように、情報の不足を補うために脳が予測した結果が実際の状態と違うものは全て錯覚ですし、世の中には錯覚を起こすための偽情報なんてものもあります。そして、我々の日常には、むしろ錯覚によって成り立っているなんてものもたくさんあります。身の回りにあるものとしては、絵画や写真、映画であり、平面に投影された虚像であるにも拘わらず、我々はその立体感や動きまでを楽しむことができます。これは、近くのものは大きく見えて、遠くのものは小さく見えるという経験に基いて脳が判断を下した結果です。最近ではサラウンドなんていう音響システムもありますが、ステレオなんていうのは耳の錯覚の典型で、音の位置や方向を感じますが、実際には、左右のスピーカーから出ている音の大きさが違うだけです。 物の見え方と同じように、やはり我々には遠くの音は小さいという経験的な認識があります。更に遠近感を出してやるためには「ディレイ(遅延)」で音をずらし、到達時間が遅れたような感じを与えるデジタル技術もありますし、映画は臨場感という、正に錯覚によって楽しむものです。 先ほどの鉛筆の錯覚なんですが、これを研究した学者さんの報告では、このような判断は、既に第一視覚野で起きているらしいということです。つまり、視覚情報は、高次の処理中枢に伝えられる過程で段階的に処理されているということです。視神経はRGBに対して片目で600万画素という情報を受け取ることができますが、その全てが脳に伝わるわけではありません。ドッドが縦に並んでいればそれは「縦線」、同心円上に並んでいれば「円」といったように、情報は次第に簡略化されてゆきます。これは、脳が素早く判断を下すためですが、脳に伝わる情報の欠落という事態も招いています。そのために、脳は既知の情報を付加して様々な判断を下さなければなりません。 このようなことに関連して考えられるのは、コンピューター・ディスプレーなどに映し出される文字や画像です。テキスト文字は元々ドット・黒点の集まりですが、脳はそれを迷わず線の組み合わせと判断します。人間の目はコントラストに関してはかなりの解析能力を持っているのですが、脳がそれを点線と判断するためには、もっと粗いものでなければなりません。尤も、最近のディスプレーは目そのものをごまかすくらいの精度に迫っているようです。 また、人間の目には色を捉えることのできる視覚細胞はRGBの三種類しかありません。それにも拘わらず、虹は7色に見えますし、我々は生活の中に様々な色彩を感じることができます。全部で三種の光しか見ることはできないのですから、それ以外の色は脳が勝手に作り出したものだということになります。色とは電磁波そのものの物理的な性質ではなく、人間の脳が便宜上作り出したものだということになります。そういう意味では、色彩そのものが人間の脳で起こる目の錯覚と同じ現象だということもできることになります。電磁波は、人間の目に見えない紫外線や赤外線なども含めて様々な周波数帯が不連続に絡み合っているのが自然の状態です。しかし、それを再現するためにもテレビでは人間の目に向かってRGB三種類の電磁波を放射しているだけなのです。 |