老後の生活には目標設定が必要と思っています。 古稀を過ぎた自分に何が目標かという意見もあるだろうが、とにかく何か目標がないと面白くない。だからといってこれから何ができるかといっても、多くはこの歳になるまでに培った経験の延長でしかない。振り返ってみれば音楽の才能はないしカラオケなどは最も不得意である、画才はないし書もたしなまない、美術・芸術も好まないし鑑賞・観劇もしない。工芸にも携わったことはないので手に技を持っていることもないし陶芸など大嫌いである。生物を育てる気もなければ犬・猫を飼う気もない、植物を栽培する気もないので農業には向かない。まして水産物を扱う気もなければ、気短なので釣りも苦手である。このように反省してみると、確かに才能がなかった、やる気が無かったようだが、いずれもやっては見たが、いずれも中途半端か興味が頓挫して無為なことになってしまった。こうしてみると老後の目標などありえないではないかと思われる。 そこで考えたのが主夫生活です。家族が仲良く暮らすには家庭の事、家事、掃除、庭の清掃、食事の支度はシニアがするのです。奥様方は子育てが終わる時期になると個性を取り戻し、更なる人生に目標を設定し、新たな生活様式に容易に挑めるようです。子育てが終わったのだから次は孫さんの面倒を見てくれればいいのですが、それが生物としての人間の輪廻でしょうと思うのですが、生活が豊かになった昨今では孫の育成は母親がやるものと納得して、余った時間は亭主の面倒だけはみないと決めているようで、途端に外出が多くなります。 残された亭主は、同じく外出すれば良いのですが、お付き合いする友がいなければままなりません。食事の準備もしてくれなくなります。それならば、在職中は嫁さんに面倒をかけたので、その償いもあり亭主が主夫をすればよいのです。 主夫生活も始めてみるとなかなか奥深いものだと分かりました。ただ食事だけ作っていればいいというものではありません。後片付けはしなくてはならず、事前に買い物をしておく必要があります。必然的に掃除もしなくてはならないし、ゴミ出しもしなければなりません。でも、定年前は妻がやっていたのかと思うと、決して満足するほどにやってくれたとは思いませんが、感謝する気になれば耐えられます。いつまで主夫生活を続けなければならないかと思うと不安になりますが、生活の時間が規則的になり、どうしても歩き回らねばならないことから元気でなければなりません。何といっても家族から頼りにされるのは、限りない優越感があるようです。 |