古稀を過ぎると何か寂しい。 共生社会から遠のき、生活が個人化しているせいか、将来が少なくなってきてコミュニケ―ションの場からはずれてようとするからか、あるいは他にも原因があるだろうが良くは分からない。幸いまだ健常者である、何も落ち込むことはあるまいと思うのだが、将来計画を立ててはため息をつき、破り捨てては起き上がり、またやみくもに考え込む自分の姿が脳裏に残る。若い人とは仲良くなりたくない、まして年寄りとは付き合いたくない。いずれも生活のペースが違いすぎるので話題が無いように思える。 友人のK君が先日亡くなったのは精神的にはかなり答えているようだ。それほどの付き合いではなく年に1回の中学同期会の幹事を長年続けていただけであり、それ以外には付き合いはなかった。いつも同期会のある度にK君が亡くなったら終わりにするよと言っていたので、その通リにしようかとは思うが、気分的にはすっきりしない。だからといって少ない人数で開催しても負担が増えるだけで楽しくもないからやめるのはいいのだが、付き合いを断つことは耐え難い気もしている。先にはいくつかのグループの幹事を仰せつかったことがある。山仲間の会はほぼ同年齢の友人が、家族で登山を楽しんでいる、100名山登山を目指しているので情報交換しようと集まったグループでしたが、皆さまが目的を達成したころから情報交換が遠のき、やがて返信がないままに断ち切れになっている。スキー仲間も冬場になると何となく声かけあって参加者を募ったのだが、最近は参加者が減っているようだ。年賀状も毎年出してはいるが、本年をもって年始のご挨拶は遠慮させていただきます、との賀状が増えているのにはまいってしまう。 定年退職が60歳、それからの今日の古稀までは自分としては自我にめざめて、何がやりたいか、何ができるか、何が今までの人生との継続になるか、無理はないか、計画的かなどと考えながら過ごしてきた。楽しかったし、実績も上がった、ホームページも沢山作りました。しかし悠々自適ともいえるこの10年も過ぎてしまい、更なる10年を考えて計画を立てなければと思っていた折に、資格取得検定にはトチるし、脊柱管狭窄症にはなるしで幸先良くない。まずはもう一度健康について考えておく必要がありそうだ。人生90年として、あと20年、研究するには根気が続かない、評論のようなことをして専門家としての意見を求められたら対応するのも良いが、めったにそんな機会は無いだろう。世間が老人に声をかけるなら、もっと安定し、少しで将来が有る人に頼むだろう、それが保証というものだろうと思っている。 この歳になって、将来の希望が持てない状況だと何か寂しい。 最近のメール連絡はテニス、スキー、旅行、飲み会と言った遊びの誘い、亡くなった人の訃報連絡、やたらと多い宣伝メールだけで絶対にこないと確信できるのは仕事に関するもの、業務の依頼を指すもの、建設的なご意見に係るものは何もない。すなわち外部から入る情報の選択肢は沢山あるが強制されるようなものはない。何をしようが、時間をどのように使おうが、体の治療に使おうが自由である。この全く自由であるというのが曲者で、限りある人生ではこの自由な時間を己の研究と寿命の延長に使うべきかと考える。考えるが、どのように考えるかが難しい、さして難しい訳でもないが選択肢が多くあるので良く整理して順番を決めて、実行条件を検討し、目標を定めて実行というと簡単そうであるが、さて思ったように進まない。 子供や孫の成長には目を見張るものがある。子供は力強く社会生活を楽しんでおり、楽しみながら成長を続けているようだ。孫も毎日やることが沢山決まっており、母親の決めた通りに元気に生活している、それで決まって体は大きくなって知恵もついてきているのが何となく接する態度で分かるようになってきた。 じじ・ばばは元気よく自由にスケジュールを作って過ごしてはいるが、全て自分のためと決め込んで勝手な事をしている。なんとなく漂ってくるのは、底意地が悪くなってきて愚痴が言いたいが我慢している雰囲気である。 最近話題になっている孤独の勧めを読んでみました。高齢者は感覚、知力、見識と衰えてゆく。いずれ体力が限界になるので、世の中で存在感を示そうなどと考えずに、邪魔にならないように世間からは身を引いて孤独を楽しめる環境を準備したほうが良いのではないか。 孤独であっても人生を回想する楽しみがあるとのとの勧めでした。確かに体力が衰えてみじめな思いをする前に、生活パターンを変えたが方が良いとの意見に思える。確かに最近は元気なつもりでも転びそうになり足元がふらつくことがあり、字を書いていても漢字が出てこないことがあり、まして字が汚くなったと思っている。古来より中国では人生を四つの時期に分け、それが青春(せいしゅん)、朱夏(しゅか)、白秋(はくしゅう)、幻冬(げんとう)と順に進んでゆく、あるいは人生のリズムがあるものとされている。古稀も過ぎれば人生は玄冬の位置にあることは間違いないが、この時期では老いを認め諦めることが肝要とされている。諦めるの本来の意味は「明らかに究める」であり、はっきりと現実を直視することなのであり、勇気をもって直視する、覚悟することであるとの教えであるようだ。だが昨今の高齢者は優秀な医療制度に支えられており、長生きが当たり前になり玄冬期であっても、あたかも第二青春であるかのように人生を楽しんでいる。しかし人生のリズムでは玄冬期の後半には崩壊期があることを想いそれの備えも必要になるが、それが孤独な生活であるのではないかとわきまえている。 ところでシニアにとって学習とは何かについて考えておきたい。若い人たちにとって教育は、これからの人生を歩むに当たって必要な指標を得るとともに、先人たちの知恵を体験し、古からの経験を習得し個人の能力を錬磨し、しいては社会活動に必要な知識を授かるものであると心得ていた。これからするとシニアに必要な教育とは人生が終焉に向かっている時期であるから学習の指標としては上手な死に方の勉強ということになるが、これは考えてみれば分かることであるが在りえない。どうせ死ぬなら上手であってもなくても、どうでも良いことである。いずれであっても死んでしまえば良いのである。であるがシニアであっても学習している方はたくさんいらっしゃるし、個人活動に役立てている方もたくさんいらっしゃる。どうもシニアにとって学習は旅行、スポーツ、ボランティア活動などの社会参加と同じく残った余暇時間を過ごすための便法であって指標(目的)ではなさそうと思案される。シニアではあるが指標を持って成果を上げたいと思うなら、個人での活動には限界があることを自覚して、社会に復帰してその一員として活動した方が良い。まだまだ元気な老人は社会で働いて人生に貢献した方が良いのではないかということになるが、さてこの理屈が通るようでは、世の中は怪しくなるのではないかと思案される。 個人的活動で文章を書くことなら、ひょっとして当たるかもしれないし、でなくとも己の心理分析、反省になるだろと始めてみたが、それほど容易なものではないようだ。関係しそうな文献や原理・思想を読み込まなくてはならないし、盗作、倒錯があってはならないし、エッセイ、つぶやきでは売れるようにはならない。売れるには物語でなくてはならないし、初めは自分の経歴をネタにするしかないのだが、これがたいしたものでないならば、さらに寂しさは増してしまう。 |