ヘルス・リテラシー(health literacy)とは、健康面での適切な意思決定に必要な、基本的健康情報やサービスを調べ、理解し、効果的に利用する個人的能力の程度を意味します。 医療リテラシーとも称されますが、パンフレットの図や文章を読んで理解し、医療機関の診療予約を取れるにとどまらず、健康情報を効果的に利用し、健康維持・増進に役立たせる能力を向上させるのに重要とされます。また、個人的能力にとどまらず、より広く、ヘルスケア・教育システム・社会文化的因子を包含する考え方も出てきています。ヘルスリテラシーは、個人が健康課題に対して適切に判断を行う能力で、日常の身体活動量が多い層は健康寿命の延伸に関係しているようです。 高齢者のヘルスリテラシーの向上は、高齢者教育は必要かの検討にもなりますが、あくまでも高齢者個人の選択です。最近の高齢化少子社会では知識やスキルは急速に陳腐化し、新しい知識の必要に迫られます。しかも生涯にわたって、人々は自己形成や人格形成を絶え間なく続けていかなければならず、選択と自己決定を迫られます。このような時代では、高齢者であっても教育や学習は生涯にわたって続けなければなりません。これらを生涯教育の事例を考え、どのような社会貢献がこれからできるかをヘルスリテラシーと生活ガバナンスの観点から考えておかねばなりません。 生活ガバナンスとは 現代社会においては従来の方法では対応できない生活課題が急増しています。とくに社会的ニーズが増大しているため、公共的領域への生活者の主体的参加によるガバナンスが生活の質を高めるため欠くことのできない条件となっています。生活ガバナンスとは、生活に対する深い配慮をもった生活者の価値を、個人や家族を超えたより社会的次元に浸透を図りながら、新たな公共性をつくるにはどうしたらよいかを考えます。生活ガバナンスのリテラシーの根本はフレーミングの違いを理解し、問題点を切り取る視点、知識を組織化するあり方、問題の語り方、状況の定義の仕方等に差があることを理解しておかねばなりません。個人の主要価値、各人が置かれている社会的環境によりフレーミングは多様になります。 自己決定権とは 人は、憲法でもって幸福を求める権利が保障されています。この権利は、他人に迷惑をかけない限り、公共の福祉に反しない限りにおいて尊重されるという但し書きがあります。自由意志でもって、他人に迷惑をかけないように、いくつかの選択肢の中から自分の行動を決めていきます。「自己決定権」と呼ばれます。この十数年の間に、医療に対するものの見方が大きく変わってきています。過去の医師や病院まかせの医療から、患者にとって最も良い医療とは何かを自らが選ぶ、患者とその家族のための医療という視点の変化です。医療を提供する側は、患者に予測される病気の性質や検査の目的・手技・手順等について詳しく説明し、多くの情報を提供するだけではなく、検査や治療を受けなかった際の不利益についての情報をも提供することが義務づけられています。そこで患者には「自己決定」に伴う責任が生じます。病院へ行こうか、行くまいか。どこの病院にしようか。検査・治療を受けるか、経過をみるか。リハビリの種類は。手術か、抗癌剤か、放射線治療か。入院での治療か、在宅での療養か。徹底した治療か、緩和医療か。尊厳死を求めるか等々。 病気になって初めて、この「自己決定権」について考えると大きな負担になります。日頃の健康な時から、これらのテーマを家族や友人と話し合っておくことが大切です。何でも相談できる「かかりつけ医」を持つことも必要でしょう。「かかりつけ医」は、要望に応えて、「セカンド・オピニオン」でもってその道の専門医の意見へとつなげます。日頃から考える自らの「死生観」。「かかりつけ医」。「セカンド・オピニオン」。「正確な情報と分析」が正しい自己決定権の行使へのキーワードとなります。 ヘルスリテラシーについて調査してみたいと思っていましたが、進めてゆくうちにあまり意味がないことが分かりました。自律した高齢者が、さらに健康寿命を伸ばそうと努力する様を取材し、あわよくば結果についても調べることができればと思ったりしていました。一つには健康生活について質問したところで人まちまちで、環境も異なれば、フレーミングもことなる、回答も分散するだろうし、方向性を示すにはそれぞれのビッグデータを扱わねばならないだろう。それよりも、なぜ高齢者に男女差があるのか、高齢者の生き方、高齢者の効力感とはなどを思うことにしました。いろいろと散文を書いてきましたが、結論となるようなものにはなっていません、今後も各位の努力に期待すべきものとも思っています。 |