人生も後半になると、どうしてこのような自分がいるかを考えたくなる。若い頃は時間を考えずに生活できたが、最近は何をやろうかと時間刻みで考える。考えるのだが、どれも1回はやってしまった覚えがあり、再度繰り返しても効果があるのかと思う。されど違ったことをやるのは、とってもエネルギーを要するのでこんな事をしていていいのかと考えたくなる。その割には能率があがっていないのか、日記に書いてみるとあまり成果が上がっていない。このような生活を何というのかを考えてみました。 高齢化社会とは、総人口に占めるおおむね65歳以上の老年人口が増大した社会のことを言うようです。 人類社会は、一定の環境が継続すれば、ある一定の面積に生存している人口を養っていく能力に限界が訪れる。 そして、人口を養う能力の限界に達し、ある程度の時間が経過すれば、必ず高齢化が顕在化してくる。 高度に社会福祉制度が発達した国家にあっては、その負担に応じるため労働人口が子孫繁栄よりも現実にある高齢化対策に追われるため、少子化が進行して、さらなる高齢化を助長していく場合が多くなります。 リキッド・モダンとは液状化する近代社会とでもいうか、個人がバラバラに動き回る近代社会では、全ては一時的、その場限りに終わってしまう。高齢化社会の特徴にもなっています。 現代社会を捉えるのに、かつて近代を駆動した「固い体制」が「液状化」した時代である、いや、むしろ、身分制社会を流動化するという意味で近代を開始した「液状化」が、あらゆる領域に浸透したものであると捉える視点が中心になっています。封建制や身分制社会が溶解・液状化されて近代が始まり、個人の運命をあらかじめ定めている制限がなくなりました。それに続いて、コミュニティや家庭といった構造も溶解・液状化されているのが現代であると捉えている。その一方で、社会全体のシステムにあたる構造は、個人の生から遠いところに位置するようになっています。その結果、個人の生活の直近には、構造がない世界が広がっている。かつての「固い」社会は、一度作ってしまえばそのままで自立しているが、「液状化した」社会を、ある形に保つには、常に個人が介入して支えていなければなりません。 リキッド・モダンの時代には、知識やスキルは急速に陳腐化し、新しい知識の必要に迫られる。しかも生涯にわたって、人々は自己形成や人格形成を絶え間なく続けていかなければならず、選択と自己決定を迫られる。このような時代には、教育や学習は人生前半期に特有なものではなく、生涯にわたって続けなければならない。さらに、「時間」の問題がある。ある仕事をするのに必要な時間が短縮されるのが近代から現代に一貫した特長であり、近代は「時間の操作」の効率化と、それをめぐる権力闘争を軸にして進んでいるといってよい。 1980年代以降、近代的経済構造と、社会生活の細部まで規制し管理・保護する国家が後退して、さまざまな組織や仕組みが崩壊した。伝統的な社会生活と異なり、人々の生活は所与のものでなくなり、不断の努力と注意が必要になる。従来の重工業を主体とした社会ではなくなり、サービスや情報が社会の中心となり、社会の進化は永遠に続くプロセスとなってきている。このような社会設定では個人化が進み、流動的な社会になり、個人の不安、苦悩は個人が解決せねばならなくなり、個人格差が広がって行くことになる。このような社会では個人のエンパワメントが求められる。エンパワメントとは、自分自身の生活や人生をコントロールする能力であり、自分の生活に有意義な影響を与える能力を獲得することをいう。 2000年以降、高齢化が進展し、人工知能(AI)がもたらす社会構造の変化は更に個人生活の負担が増していると言えるようだ。AIは人をエンパワーするという決まり文句があるが、ただし均等にではない。AIを活用できる者は途方もなくエンパワーされる一方、そうでない人もいる。 今後はサービス業もAIにより自動化が進み、労働者が財やサービスを提供すること自体はさほど付加価値を生まなくなる。軍事の世界では兵士の数は重要でなく、戦争の勝敗を決定づけるのは、ハイテク兵器の質とそれを使いこなす職業軍人の質となっている。それと同じことが経済の分野でも起きている。労働の手足となって働くスマートマシンが普及する2030年代には全面的かつ長期的な雇用減少が起きる可能性がある。今後なくなる職業が増え、創造的な仕事が残るクリエーティブな世界は更に社会構造を変化させ優秀な経営者、資本家はAIを駆使して末永く生きる「不老階級」を形成する一方、十分なスキルを持たない個人や労働者は「不要階級」を形成するようになるだろう。 歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏は、著書「ホモ・デウス」でAI時代に警鐘を鳴らしている。現在、無人運転自動車などに搭載される深層学習(ディープランニング)をする優れたAIの登場がある一方で、大きな不安が発生している。2030年の「AIが労働者に置き換わる」雇用崩壊と、2045年の人類の危機「AIが人類を超える」シンギュラリティ(技術的特異点)という問題点がある。もし科学的な発見とテクノロジーの発展が人類を、大量の無用な人間と少数のアップグレードされた超人エリート層(ホモ・デウス)に分割したならば、そのときには自由主義(現代社会)は崩壊すると警告している。ホモ・デウスは人間の本質的な特徴の一部を持ち続けるものの、意識を持たない最も高性能のアルゴリズムに対してさえ引けを取らずに済むような、アップグレードされた心身の能力を享受する。知識が意識から分離しつつあり、意識を持たないAIが急速に発達しているので、人間は、遅れを取りたくなければ、自分の頭脳を積極的にアップグレードしなければならない。人間中心からデータ中心へという世界観の変化は革命であり、この激動のAI時代を生き抜くためには、個人は何を学び、如何に自分の資質・能力をアップグレードするかを深く考える必要がある。たとえ高齢者であろうとAIの時代を生き抜くためには学ばねばならないことになる。 |