箸墓古墳

 古墳づくりの実態をより深く検討して総合的に判断すると、古墳づくりを含む葬送儀礼全体に多大な労力と資材と知識や技術を費やしていること、大王や有力首長の葬送儀礼は、当時の社会の一大政治的・宗教的イベントだったと想定できる。そのような状況下にあっては、大王や有力首長が自らの権勢・財力・指導力を誇示・顕示・顕正し、死後においてもそうであることを願つて、生前に墓を造りはじめることは十分考えられるし、そうであるほうがむしろ自然で妥当とされる。しかし、それぞれの前方後円墳が生前墓であった確証については、歴史を戻ることができないことから提示することはできないが、多くの考古学者の研究成果が証明している。
前方後円墳の起源『ウイキペヂア(Wikipedia）』
2世紀末に大和地方の纒向（現・奈良県桜井市）に巨大都市が出現し、纒向型前方後円墳が築造される。3世紀前半には一つの画期として最古の前方後円墳とされる箸墓古墳が築造される。これをもって古墳時代の始まりとする。その後日本各地に同じ形の墳墓が築造されていった。
大和政権の勢力下にある日本列島の諸地域（およびそれに影響を受けた朝鮮半島南部）でのみ見られる前方後円墳の起源については、これまでに様々な仮説が唱えられている。
最もよく知られているものは、弥生時代の墳丘墓（弥生墳丘墓）から独自に発展したものであるという学説である。この説においては従来より存在した円形墳丘墓の周濠を掘り残した陸橋部分（通路部分）で祭祀などが行われ、その後この部分が墓（死の世界）と人間界を繋ぐ陸橋として大型化し円墳と一体化したと考えられる。
それに対して、各地方政権の墳墓の糾合によるという説もある。例えば「形」は播磨の前方後円型墳墓から、「葺石」は古代出雲政権の四隅突出型墳丘墓から、というように、弥生時代に作られていた各地方政権の墳墓の諸要素を糾合して、大和政権が前方後円墳を考案したという。
茂木雅弘　1994『古墳時代寿陵の研究』
「寿陵研究をめざして」　p6
一九六九年は筆者の古墳研究にとって記念すべき年である。それは群馬県前橋市の天神山古墳の後円部に設けられた巨大な粘土椰を設けるための墓墳と対面したことである。さらに三木文雄氏の援助によって山梨県中道町大丸山古墳(註19)の調査を開始した年でもある。
天神山古墳の正式な調査報告は未刊である。そのためこうした遺構の詳細なデータは不詳であるが、墓墳の巨大さに興味を持った。この疑間を追求するためのパートナーは轟俊二郎氏であった。そこで得た結論は、前方後円墳の築造と埋葬との間に時間差が存在するのではないかということであった。この仮説を実証するためには、墓墳の存在する可能性の高い竪穴式石室を埋葬施設とする前方後円墳を調査する必要があった。
三木氏から東京国立博物館が出土品を所蔵する大丸山古墳の測量を依頼されたのはそんな時であった。大丸山古墳の発掘は筆者の仮説を証明する上で重要なものであった。限られた条件の中で最初に一部露出している竪穴式石室に挑戦した。それは竪穴式石室と墓墳と墳丘の関係を調査することであった。予想は適中した。急勾配の墓墳の掘り方が確認され、墳丘の築造と埋葬施設の設定までの時間差が確認出来た。この調査は一九七二年まで続いて中止された。大変残念なことは、墳丘の調査が殆んど実施出来なかった点であり、現在に至るまで報告書が作れない点である。
墳丘生前築造説　p44
このような詳細なデータを基にして次の様に論じている。
埋葬の部位が墳丘の上にある事からすると上に算出したやぅな一日千人の土工を以てしてもなお四年もの時日を要する応神・仁徳両天皇陵の場合では、それ等がすべて崩御の後の営造とするにはあまりに年月を要し過ぎることへの疑間がわくであろう。この事は近年古墳の学術調査が行われるやぅになって、認められて来た、上代に於ける棺内における遺骸が、内棺などに収められることなく、布などで包んで直接に置かれたと解せられる点から、いよいよそのことが考えられるのである。かくて、ここに自から『日本書紀』の仁徳天皇即位六十七年の条に見える説話、即ち現在の陵を以て寿陵とする記事が顧みられる。
右の記載には地名の解釈などの点で、説話的な色彩は強いが、「石津原に行幸し、蒻ら陵地を定め、営陵の工を起した」とあることは、それに実際上の背景を持つことが認められて然る可きであろう。
として最後にこれだけ巨大な墳丘を築成するためには当然広い範囲の人々が日常的に従事したものであるという前提で次のように結んでいる。
その営造に要した歳月の長いことが考へられて、生前からの営造たることの確かさが認められることがある。
仁徳天皇陵が寿陵であることについてはこれ以降多くの研究者が主張されている。 一九五九年小林行雄もこの記事を材料として、「いわゆる寿陵として、おおぜいの人民をかりたてて、生前から自分の墓をつくらせることは、この時代からあったのであろう。」としている。この問題に関しては原田大六も磐井の墳墓と関連して次の様に述べている。
すべての古墳が生前に造られたものとはいえないが、ある特定のものだけは、生前に造られたのではあるまいか。 ……仁徳天皇、筑紫国造磐井、蘇我蝦夷、入鹿はみなその権勢の誇示として墳墓を生前に築いているのである。 だからこの生前に墳墓を造るということは、普遍的に行われたのではなく、権勢を特に誇る者だけがやった特別の工事であったといえよう。
原田は全ての古墳が生前に築造されたのではなく、特殊なものだけが寿陵であったとしている。この把え方には矛盾がある。考古学的に実証不可能な推論である。それは既に先哲が問題視している如く、墳丘と埋葬施設の関係においては特殊な寿陵はあり得ないのである。
同じ磐井の墳墓をとりあつかったものに森貞次郎氏の論政がある。森氏は福岡県八女市に存在する岩戸山古墳を「筑後国風上記逸文」にみえる磐井の墳墓と断定した。このことはわが国における寿陵の研究にとって極めて重要な意味を有することになる。
考古学研究が発掘調査という科学的実験に等しい方法を採用している学問分野であることを考えると、この問題を発掘調査によって把える必要がある。堅田直氏が大阪府池田茶臼山古墳で行った調査結果はその後の研究に重要な影響を与えることとなった。
堅田氏は一九六四年(昭和三十九)刊行の報告書の中で次の様な調査結果を発表した。この古墳は全長六二メートルの尾根上に築造された前方後円墳であり、後円部頂に七・八X三・四メートル、深さ一・五メートル、底面七・六四✕二・九六メートルの上壌が約八五度の傾斜で穿たれていた。八〇度の傾斜で掘るには、上を少し載せては、たたきしめて行く方法をくりかえして積み上げないかぎりは不可能で、他の方法なら上を積み上げてから約二年間以上放置しなければ、たとえ掘ったとしてもすぐに崩れてしまうだろう。
という大林組研究室の管田豊重氏の教示をのせている。この指摘は従来の古墳調査法には全く認められなかった新視点であり、墳丘の築造と埋葬とのあいだに時間差のあることを証明した。さらに推論すればそれが日本の前方後円墳の特色を発掘調査によって実証したことにつながったのである。要するに前方後円墳の墳頂部に土墳を穿って埋葬を行うためには数年前に墳丘が完成していることが必要であるという調査結果が公表されたのである。
人を葬らない墓　p50
一九九二年、筆者は「埋葬されない墓をもとめて」という副題のもとに『前方後円墳』を著した(誼η)。これは従来の埋葬施設と副葬品に重点をおいた研究とは異にする、墳丘を中心に考察することを心がけた。
この年、吉留秀敏氏も従来の寿陵研究を次のように整理された。
日本列島における「寿陵」の採用は、古墳の出現期に求めたい。現時点ではなお検証可能な例が僅少であるが、今回の報告例を考慮すると、採用された古墳は、大王墓や各地の有力首長墓に限られる可能性がある。このことは古墳時代における首長権継承儀礼の定式化と発動にその事由の端緒を求められるだろう。
ここに弥生時代墳丘墓から前方後円墳への質の変化をみることができる。「寿陵」は生前における造墓活動そのものの意義と共に、該期の首長間の階層性を強調する古墳の規格化、巨大化を可能とする手段でもあった。……
この「寿陵」もまた中国における寿陵を導入したものであったと考えたい。
以上が日本における寿陵研究の成果である。この種研究が未だ出発点の域を脱し得ず、その理論的方法さえ決しかねていることが判るであろう。これらを整理すると、
�／瞭租傾諜�にみえる如く、日本の古墳に寿陵の存在が推察されること
��空墓の存在から生前に墳丘の築造を想定することが可能であること
�Ｆ団衒茲砲里濕�陵が想定されること
等が考えられるのである。しかし筆者はこうした研究史を踏まえた上で、大半の古墳が生前に築造されたという視点であることを明記しておきたい。
和田晴吾　2914『古墳時代の葬制と他界観』
　 「寿陵と前方後円墳」　p178
本書で主張するように古墳が他界の擬えものであるとすれば、なおさら権力者は、死後においても生前と同様の、あるいはそれ以上の権力を保持した安寧な生活を確実に保証するために、自らの古墳を生前から造りはじめていたものと考えられる。
さらに注目すべきは、大王墳が寿陵として築かれなくなる時期は、ほぼ大王墳としての前方後円墳が築かれなくなる時期にあたり、以後は方(円)墳、八角墳へと変化することである。換言すれば、寿陵と前方後円墳は密接に関連していた可能性が高いのである。これまで前方後円墳消滅の意味については多くの政治的評価がなされてきたが、その背景には、われわれがいまだ十分解明できていない、大きな葬制上の変化があったのである。そして、この画期を経て古墳は急速に単なる基へと変質していくのである(第二章参照)。日本列島で初めて他界を可視化して表現した「他界の擬えもの」としての古墳は、この画期に消滅する。他界を表現するものが、あるいは他界観そのものもが大きく変化していった可能性が高い。
なお、この時期の改葬という複次葬は、土葬という単次葬を基本とした古墳時代的な葬法から、仏教と関連する火葬という複次葬の葬法へと円滑に変遷していく葬法ともなりえていた可能性もある。
古墳づくりと軍事行動p187
古墳づくりにどれほどの人がどれほどの期間働いたかについては、わが国最大の前方後円墳である大阪府堺市大山古墳についての試算がある〔大林組1985〕。
プロジェクトチームは、梅原末治と高橋逸夫のデータ〔梅原1955〕に基づいて、大山古墳の規模を全長475メートル(現在は約486メートルとされている)、後円部径245メートル、同高約30メートルで、墳丘土量約140万立方メートルとした場合、墳丘の築造と、2重の周濠の掘削、葺石の施工、埴輸の製作樹立を完遂するためには、牛馬を使わない古代工法では、ピーク時には2000人が働いて(1日8時間・月25日)、15年8ヶ月(1人8ヶ月)を要すと算出した。
他の古墳の体積については、石川昇の試算があり、大阪府古市占墳祥では羽曳野市誉川御廟山古墳(約山一五肩)約一四三万立方肩、菓山古墳(約二二五層)二五万立方厨、大鳥塚古墳(約一一〇属)二万立方=、番上山古墳(約五三し四〇〇〇立方肩などとされている〔石川一九八九〕。これらを参考にすれば、極めて大雑把な試算になるが、同じ様式の古墳とすれば、全長約一〇〇房の古墳で、墳丘の堆積が約二万立方肝の古墳だと、約一〇〇人が働けば四年十ほどで、 1000人ならば5ヶ月余りで完成することになる。
高度な測壮技術・管理能力・強力な造基組織
しかし、古墳づくりの実際に当たっては、作業に直接関わる労働者のほかに、労働者の衣食住を支える人々(自らやっていた可能性もある)や、道具類を調達・補修する人々、測量する人々、それらを管理・統括する人々など多様な役割の人々がいたはずである。また、埋葬施設(竪穴式石椰や横穴式石本など)や枯(特に大型の本柑・石柿)の資材調達・加工・運搬・構築(設置)等にも多くの労働力を必要とした。したがって、長期間にわたる占墳づくりには、それを保証する強力な造菓組織が編成されている必要があったのである。 しかも、完成した墳丘をみると、単純な道共と人海戦術(集M行動)に比べて、その端正で精美な形態と仕上がりには、設計や測量技術などの上本技術の高さとともに、多くの人々を動員し、効率よく作業にあたらせる施工・管理能力の高さもはつきりと見てとることができる。古墳づくりの現場では、後の造宮・造寺組織ほどは複雑ではないにしても、大規模な分業と協業を長期にわたって実践していたのであり、それを実現するすぐれた造墓組織があったのである。先に取りあげた「視葬者」は、大王(王権)の下、この造墓組織を統括するとともに、造墓を含む葬送(喪葬)儀礼全体を仕切っていたものであったと考えられる。
古墳づくりと社会統合
古墳時代前・中期の首長連合社会では、列島各地の地域集団(あるいは同族集団)は、首長を中心にヤマト王権下に服属することでもって、政治的経済的安定や軍事的安全を確保していた。そして、その見返りとして集団は王権に奉仕することを強いられたが、交換経済が未発達な段階では、米や布や特産品の貢納には限りがあり、王権への奉仕の中心は集団的な労働となった。 その時、労働の中心は耕地の開発、生産の拡大へと向かったというよりも、その中心の一つは兵役となり、他の一つが、古墳づくりという大規模な土木工事をともなう葬送儀礼の実修となったのである。これは王権レベルにおいも、地域集団レベルにおいてもそうだった。血の原理を組帯とする同族社会にあっては、祖霊を祭り、大王や首長の魂の冥福を祈ることが、人々がもっとも受け入れやすい普逓的で価値ある行為と観念されたからであろう。 したがって、規模の差、質の差こそあれ、同様の儀礼が列島の九州地方から東北地方南部までの各地、各階層で返し繰返し行われたのである。
王権は、それをコントロールし、秩序づけることで、国家的な規模で社会を統合する原理としたのである。しかも、仮の他界である古墳が、その形と規模でもつて秩序づけられていることから判断すると、この秩序は他界の祖霊たちもまた秩序づけるものだったのであろう。