古代史の実像 古代史を始めてから、そろそろ3年近くになりますが、まったくのアマチュアであることを自覚するばかりで、そろそろ結論らしきものが出来ていいころかと思われるのですが、さらに困難さを感じています。いろいろと書籍、論文は集めましたが、先駆者の研究成果が余りに膨大なものであり先が見えていません。論説、解釈本も多く発刊されているので集めてみましたが、読みやすく、明解に説明されているので、感覚的理解になりますが古代史のストリーが見える根拠資料としては使えないように思えます。 考えてみれば古代史は鎌倉時代から、江戸時代からの近世と多くの研究者、専門家が携わり、さらに明治・昭和と時代の変遷に伴い深堀されています。それが全て日本書紀の研究であり、さらにそのほとんどが古墳時代・飛鳥時代に集中しています。それだけこの時代の古代史はミステリアスで研究が必要とされるものだろうと思われます。従ってこの分野にアマチュアの歴史家が挑むとすれば、多くの資料を読み込み理解し整理し、多くの研究者の事績を調べあげ、その差異を明らかにせねばなりません。 古代史のミステリー といえば卑弥呼と聖徳太子でしょう。前者は魏志倭人伝に西暦239年に朝貢があり、魏倭国王の金印を下賜されたと記録されています。しかし日本の何処に卑弥呼の宮があったかにつては議論百中していて、いまだに結論が出ていません。後者については西暦600年と607年に遣隋使が派遣されたことが随書倭人伝に記録されていますが、その時の倭国の国王が誰であったか、聖徳太子でなかったについて議論が続いています。両者について日本書紀の記録がなく、さらに曖昧になっていることで争論になっています。前者については倭国に文字による記録のなかった1500年前の時代のことであり、言い伝えによる伝承であったとしても、どうしても推論の粋をでず、よほどの考古学の発見がない限り争論は続くでしょう。後者については日本書紀が白鳳時代(西暦680年〜)から製作・編集が始まったとされている、推古天皇条の聖徳太子の記録についてはあまりに潤色が多く、伝聞としても嘘と思われる記録があることから争論が続いています。こちらについても、過去のことであり、よほどの考古学的発見がない限り結論に至ることはないだろうと思われています。 根拠資料を紐解き、詳細を記述してみれば倭国の古代史の流れが理解できることが分かりました。事績として残された神社・仏閣、考古学で発掘が進む古代の遺跡、東アジアに伝わる倭国の伝承・風土記などの文化遺産をたどっていけば古代に生きた先祖の活動が見えてきました。それらは倭国の古代を語っていると考えられますので、それらを辿ってみると古代史の実像がみえてきました。 |
古代史の虚像 古代史の研究者は考古学派と文献派に別れるようですが、相互に補完し合っているとさていいます。文献派の研究は文字のない時代の伝承を読み解き仮説を立てます。これを多くの人が1400年前から繰り返しています。仮説に対しては、多くの研究者が検証や反論して、さらに仮説が立てられます。そして相論が続きます。文字による記録が残っておらず、遠い外国の文字化された風説を頼りに倭国成立の仮説は作られますが、それほど系統だったものではなく、部分的な著作とすればさらに議論が発展します。概して、これが結論だという事には至りせん。近年になって考古学が発展し、遺跡を掘り出すことにより歴史を再現させるのですが、これにつても歴史の一部にしかすぎず、系統だった記録にするためには、はてしない考証が続きます。こうしてみると古代史の世界は決して結論に至ることは無く、徐徐ではありますが考古学の研究、新発見により解明されているものの、決定的な発掘、探索がない限り推論、議論は続くことになる。但し、議論に参加するためには多くの(とても多くの)文献、著作を多く読み、仮説の根拠、相違点、理屈を理解し、引用できなければならないと思うようになってきました。 色々の文献を読んでみました。江戸時代から多くの文献研究者が多くの著作を残しています、明治になってからは考古学上の発見が相次ぎ、その結果を踏まえてさらに多くの文献が発表されています。夫々がご自分の意見を、私の考える所ではと古代史の展開を述べていますが根拠はあっても証拠はありません。いずれも、この様に考えた方が合理的ですではなく、こう考えてみたら、いや、こう考えるべきであるであって、他の研究成果を批判、反論するケースが多いようです。根本原因を考えてみると、日本には5世紀初頭まで文字がなかったこと、その為風習、文化、履歴は全て口伝、暗証により伝わってこと、次に7世紀後半になって古事記、日本書記の歴史書が始まったが、その時に神話と人代の区分がなく、更に為政者にとって好都合になるように潤色が行われたこと、更にはそれを国史として公伝し、それに沿った歴史が形作られた経緯があること思われる。 多くの著作、文献をすべて整理し組み立て直しても、発散するだけでかえって混乱を招き迷うだけになりかねないと思われる。それでは文字に残っている中国の歴史書、あるいは朝鮮の歴史書に書かれている日本の古代史を抜き出して、そこから日本の古代史として問題になっている文献派研究者が考えた物語を検証してみることにしました。それが古代史の虚像を紐解いていると思っています。 |