本論は、3世紀の中葉とされる古墳時代の始まりの時期に畿内の大和に巨大化した前方後円墳が最初に築造され、それが箸墓古墳であることに言及することから始めている。考古学の研究者らは、その巨大性に着目し、目安として墳長が約200mを超すものは、大王級のものであるとしている。さすれば、当時の大王は中国の魏王朝から最初に親魏倭王として冊封された卑弥呼であり、箸墓古墳は卑弥呼を祭っていたことになる。 畿内には、その後も綿々と巨大前方後円墳が造られており、考古学の研究者らは、巨大な前方後円墳を築くには、多大な労働力、財力の投入が数年にわたって必要であり、墓ではあるが、大王の威厳を持って生前から造り始めなければ、葬られるときに間に合わないとしている。卑弥呼が始めた巨大前方後円墳文化には、卑弥呼が巫女であったことを考えれば宗教的観念があるので、単純な墓ではなかった。また倭国王であったことを考えれば行政的観念が感じられ、単純な巨大建造物ではなかった。 倭国の古墳時代に始まった巨大前方墳文化の営みは、倭国が協調して結束するための観念的統合の記念物であり、政治的統合の記念物であった。 |