建長寺ー永福寺跡

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2025年6月4日
この日は昨日までの雨模様が嘘のように晴れ渡りましたので、体調は今一つでしたが、鎌倉・室町時代の武家政治の勉強の糧とするために鎌倉を散策しました。あまり行ったことのない鎌倉でしたので、12時にJR鎌倉駅で降り、観光客で賑わっている小町通りを北に歩いて、建長寺につきました。拝観料500円を払って、史跡を見学してから、裏山の天園ハイキングコースをたどって、やがて覚園寺―鎌倉宮―永福寺跡と見学しました。史跡永福寺跡は、源頼朝が建立した寺院の跡です。源義経、藤原泰衡など、頼朝の奥州攻めで亡くなった武将たちの鎮魂のため、平泉の中尊寺二階大堂等を模して建立され、建久5年(1194年)に二階堂・薬師堂・阿弥陀堂の三堂が完成しました。鎌倉幕府から手厚い保護を受けましたが、応永12年(1405年)に焼失し、以後は再建されていません。ここまで歩いて約4H、20000歩、高低差約150mの散策でしたが疲れてしまって、丁度来たタクシーで鎌倉駅に戻り、1200円でした。鎌倉駅からも丁度来た横須賀線新宿ラインで乗り換えなしで渋谷駅に着きました。 建長寺は、正式には巨福山建長興国禅寺(こふくさんけんちょうこうこくぜんじ)と号する。鎌倉時代の建長5年(1253年)の創建で、本尊は地蔵菩薩。開基(創立者)は鎌倉幕府第5代執権・北条時頼、開山(初代住職)は南宋の禅僧・蘭渓道隆。鎌倉五山の第一位。境内は「建長寺境内」として国の史跡に指定されている。当時の日本は、承久の乱(1221年)を経て北条氏の権力基盤が安定していた。京都にある朝廷の全国支配力は弱まり、政治的には鎌倉が事実上、日本の首府となっていた時代であった。