ベジタリアンとは動物性食品を避け、穀物、豆類、種実類、野菜、果物を中心に摂る人のことです。日本ではベジタリアンを菜食主義と呼ぶが、一方で精進料理は大乗仏教の影響もあり倫理的な戒律を守るという意味があるがベジタリアン料理のいっしゅである。近年の日本ではベジタリアンを菜食だけ、または菜食に加えて本人の選択により卵と乳製品を摂るが、動物肉・魚介類は食べない人をいうようです。 肉食を否定する主張には2種類あり、過剰な肉の摂取を戒める主張と肉食そのものを否定する主張があるが、前者は健康のためであり、後者は不殺生戒の思想に基づく。インドでは宗教で菜食を奨励しているが、肉食は避けるが乳製品はよいとするヒンズー教、動物・植物の殺生だけでなく無生物の破壊を回避するように努めるジャイナ教がある。チベット仏教では肉食は禁じられていない。仏教では、自らの手で殺生することは禁じているが、チベット仏教では肉食を禁じられていないし、釈迦も肉を買いに行かせて食したとの記録もあり、肉食は不殺生戒を破ることにはならない。中国仏教では大乗の流れから、より厳格な菜食主義が主張されている。日本仏教では鎌倉仏教が厳格な菜食主義を放棄している一方で、精進料理の伝統も続けられている。ただし、僧の托鉢による受動的な肉食と、在家の購買による肉食は異なるとして、托鉢以外の場合は菜食を奨励している場合もあり、一般的に宗教において菜食主義の傾向が強いのは、肉体より精神を至高のものとする禁欲主義の影響が大きいと考えられる。 健康上の理由からベジタリアンの主張がある。卵や牛乳を摂取しない菜食主義であっても栄養が摂取でき、癌、糖尿病、肥満、高血圧、心臓病といった生活習慣病や認知症のリスクが減り、20年以上の菜食者は平均寿命が3.6年長いとの報告がある。また血圧や肥満度指数(BMI)が低いが骨粗しょう症のリスクが高くなる。過剰な肉食は、大量の動物性脂肪摂取を意味し、中性脂肪の増加や内臓脂肪・皮下脂肪が増加し、同時に必要以上のたんぱく質摂取につながりその結果体内で発生した過剰なアンモニア排出のために肝臓や腎臓に負担を強いることとあいまって生活習慣病のリスクがある。肝臓病を患っている場合は、アンモニアは大豆より肉を食べたほうが多く作られるので、肉の摂取を制限されることがある。一方で肥満の最大の原因は摂取カロリーであり、菜食主義者が好むフライドポテトも影響ありとされている。 日本のベジタリアンは仏教徒の摂取する精進料理がある。鎌倉時代以前の日本では仏教の僧侶は大乗仏教であるため肉食が認められなかったことから、しばしば近代以前の日本は菜食主義であったとみなされることがある。しかし、鎌倉仏教が肉食の厳格な禁止をやめたため、日本では、厳密な菜食はあくまで寺での修行においてのみの行われることとなるが、この環境で利用される精進料理は、大豆やその加工食品(豆腐やゆば)など、タンパク質豊富な豆類を積極的に取り入れるなどしており、また、他にも、野菜から木の実・キノコ類・山菜など、様々な食材を幅広く利用していたことから、経験的に栄養バランスをとろうと工夫した様子も窺える。 また皇室や貴族社会においても、仏教思想、稲作信仰、伝統的神道の穢れ的観点から、魚や鳥は食べても獣の肉を食べることはほとんどなかった。なお、僧侶の食生活においては、托鉢で比較的栄養バランスのとれた料理を口にする機会が多かったり、あるいは、「四足の獣」を殺して食べることは戒めたが、足のない魚や、動物から省かれていた卵は食べられていた。また、三種の浄肉では、不殺生を旨とする僧侶も、寄付された肉類は食べてよいことになっている。 僧侶以外では、家畜の食用はほとんど行われず、山間部を除くと獣類の食用は少なかったが、魚類と鳥類の肉は食べられていただけでなく、家禽やウサギ、一部の地域では鯨類が食用とされ、内陸の地方では昆虫食も珍しくなかった。また、禅やその影響を受けた茶道において、精進料理の影響を受けて発達した懐石料理は、多少魚介類なども採り入れており、菜食主義からは遠ざかっている。このため、日本の伝統的な食生活がいわゆるベジタリアンの食生活だったとするのは誤りとなるが、日本農業が牧畜や養豚を欠いており、家畜を食用とする習慣がなかったという特殊事情から、普段はベジタリアンに近い食生活を送っていたと推測される。その一方で、伝統的日本食はコメ・大豆・野菜を中心に魚類を配したものであり、宗教上のベジタリアンは存在したものの、欧米のように動物性タンパク質に偏った食生活への反省・反動から生じたベジタリアニズムを言い立てる必要が元からなかったとおもわれる。 我が家では、ベジタリアンの菜食5品を卵を使って作ってみましたが、基本は和風の5品になっています。スープ、漬物又は付き出し、煮物、豆腐の焼き物(又は炒め物)、パスタ、サラダ・・・等々及びデザート。料理のメニューはいろいろ工夫できますが、食卓の賑いとしては今ひとつの感が致します。 |